「いつやるか?今でしょ!」で一躍有名になった、東進ハイスクールの専属人気講師にして、今や数々の冠番組を有する人気タレントでもある林修先生。
そんな林修先生には輝かしい学歴や経歴がある一方で、起業や株式投資の失敗から一時は借金地獄まで経験されていることをご存知ですか?
現在では、見事な復活を遂げられていますが、そんな天国と地獄を味わったからこそ、林修先生の名言には重みがあると言えますね。また、気になる年収についてもまとめました。
林修先生のプロフィール
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プロフィール
名前:林 修 (はやし おさむ)
生年月日:1965年9月2日
出身地:愛知県名古屋市千種区
身長:175cm
血液型:O型
出身高校:東海高等学校
最終学歴:東京大学法学部
職業:予備校講師、タレント
所属事務所:ワタナベエンターテインメント
林修さんの父親は、大手酒造メーカーの宝酒造の元副社長にまで登りつめた方で、祖父は日本画家の林雲鳳さんです。
幼少期には、その祖父が高級車で幼稚園まで送迎していたと言いますから、とても裕福な家庭で育てられたようですね。まずは、そんな林修さんの小学生時代の様子からご紹介していきましょう。
林修先生の学歴から見る神童っぷり
林修さんの小学生時代のあだ名は「デブメガネ」
林修さんは小学生の頃から読書と菓子パンが大好きで、菓子パンを食べながら本を読み耽る毎日を送っていたせいで、それはもう当たり前のように太っていたと言います。
また、過度の読書習慣のせいか視力の低下も始まり、メガネをかけていたことから、付いたあだ名は「デブメガネ」。小学生が付けるあだ名には歯に衣着せぬ残酷さがありますね。
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そんな読書漬けの毎日を送っていた林修さんですが、成績はすこぶる優秀で、ほとんど受験勉強をすることもなく、偏差値71という東海地区屈指の私立の難関校である東海中学校に合格します。
中学3年生には大学受験の勉強を始めた林修さんの中学生時代
多感な中学生になっても、林修さんの読書と菓子パン愛は止まりませんでした。中学3年生になる頃には1,000冊近くの本を読破しますが、同時に体重も87kgに増えていたのだとか。
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肥満児だった10代の頃の林修さん
2014年3月25日に放送された「林修の今でしょ!講座 林修VSスーパードクター 人間の臓器ってスゴい!3時間スペシャル」の中で紹介された衝撃の画像です。
ただ、学校の成績は依然として優秀で、秀才ばかりが集まる名門中学校の中にあっても、学年でトップクラスの成績を維持していたと言います。
また、この中学校は中高一貫教育の学校で、エスカレーター式に高等部へ進学できることもあって、林修さんはなんと中学3年生の頃に大学受験の勉強を始めたそうです。ここで、このエピソードに関連する、林修先生の名言をご紹介しておきましょう。
“受験にはフライングもスピード違反もない
敵は見えるところにはいないよ そう!見えないライバルと闘う・・・
誰がやる!君だよ”
偏差値と体重がグングン上昇する林修先生の高校時代
林修さんが内部進学した東海高校は男子校で、その偏差値は75と愛知県内ではもちろんのこと、全国的にも名の知られた屈指の最難関校です。
もちろん中学3年生の頃から大学受験の勉強を始めている林修さんは、学校の成績もトップクラスを維持しており、なんと全国模試で1位を獲得したこともあったのだとか。
ただ、幼少期からの運動嫌いと菓子パン好きは相変わらずで、偏差値がグングン上昇していくと同時に、体重の上昇も止まらず、当時の体重は100kgを超えていたそうです。
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高校2年生の頃の林修さん
顔をよく見てみると、林先生の面影がありますね。もっとも体重は当時100kgを超えていたとのことで、現在の林先生からは想像もつきませんね。一説にはこの巨体を活かしてラグビー部に所属していたとの噂もありますが、定かではありません。
東京大学文科1類に余裕の現役合格を果たした林修先生
中学3年生の頃から東大を目指して受験勉強を始めていた林修さんですから、高校3年生の8月には受験勉強も終了したとの逸話が残っているくらいに、余裕の大学受験だったようです。
その余裕っぷりは合格発表の際にもあらわれており、「どうせ受かっていると思っていたから合格発表は見に行かなかった」と、後に語られています。
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東京大学と言えば、誰もが憧れる学歴の最高峰です。多くの受験生がそのあまりに高い壁に涙を飲む中、林修さんにとっては“合格して当然”の、軽々と飛び越えられる程度の壁に過ぎなかったようです。
但し、東大時代の林修さんの様子については、麻雀やパチンコなどのギャンブルにハマっていたこと、家庭教師のアルバイトで月に50万年も稼いだことがあること、無理なダイエットとリバウンドを繰り返していたこと程度の情報しかありませんでした。最高学府である東大生ですから、勉強することは当然のことなのかも知れませんね。
林修先生の東大法学部卒業後の波瀾万丈の経歴
東大卒業後は長銀に入行するも半年で退職
林修さんは東京大学法学部を卒業後、日本長期信用銀行(長銀)に入行するのですが、希望していたアナリスト職に配属されなかったことから、たった5ヶ月ほどで依願退職をしました。
当時はバブル絶頂期で、「東京大学法学部から“長銀”に入行する」という人生のコースは、多くの社会人が憧れる安泰中の安泰コースでした。いくら希望職種への配属が叶わなかったとは言え、たった5ヶ月で退職する決断をしたのは、長銀を内部から見て「10年後、この銀行はもう無いな」という直感があったからなんだそうです。
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実際、林修さんが退職した“長銀”こと日本長期信用銀行は、1990年のバブル崩壊を経て、1998年に経営破綻をしています。誰もが好景気に浮かれていたバブル絶頂期に、10年後の経営破綻をつぶさに感じ取った洞察力もすごいですが……
「(長銀を)いつ辞めるか?今でしょ!」
って感じで、自分の直感を信じて退職に踏み切った行動力はさすがですね!行動力はさすがだったのですが……その後の林修さんは、後に“空白の3年間”と呼ばれる地獄を経験することになります。
長銀退職後に経験した“空白の3年間”
林修さんはその後、友人と投資顧問会社やIT系の会社などを立ち上げるも、ことごとく失敗に終わります。そこで幼少期から続けてきた読書による豊富な知識を活かして、株式取引などで生計を立てようと考えるのですが、結果的に1,800万円もの借金をしてしまいます。
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また、悪い時には悪いことが続くようで、自宅が泥棒に入られたり、火事に見舞われたりという災難にも見舞われたこともあったのだとか。
林修さんは後に、長銀を退職してからの地獄のような3年間のことを、“空白の3年間”と呼んでいるのだとか。ただ、そんな借金地獄の状況にあっても、林修さんは「このくらいの借金なら何とかなるかな」と楽観的に、そして次のように前向きに考えていたそうです。
“借金は性能のいいエンジンみたいなもので、背負っているとものすごくスピードが上がるんです。まさに火の玉を背負っているようなもの。もっとも、火の球だけに、ものすごい勢いで走るか、燃え尽きちゃうかどっちかなんですけどね”
いわゆる“林修先生の名言”の一つに挙げられる言葉なのですが、この名言から察するに、借金はパワーにはなるものの、一歩間違えば“燃え尽きちゃう”という覚悟はされていたようですね。
人間はね、今日が辛いっていうのは意外と耐えられるんですよ。
今の時代が暗いとか色々言われてるんですけど、
今の時代が悪いだけだったら、人ってのは結構我慢できるんです。
だけど、明日が暗いっていうのは辛いんですよ。
1,800万円の借金を背負っていても、なお楽観できていたのは、林修さんには“明るい明日”が見えていたからなのかも知れませんね。そして、その林修さんにとっての“明るい明日”というのが……林修さんに知らない間に備わっていたある能力だったのです。
先の見えない借金地獄から林修先生を救った家庭教師の経験
起業は失敗に終わり、期待していた株式投資も上手くいかない。遂にはヤケクソ状態で競馬などのギャンブルにも手を染めたそうですが、もちろんそんなことで借金を返せるわけもなく、途方に暮れた林修さんは、借金返済のために家庭教師を始め、その後予備校講師となりました。
と言うのも、先ほどもちらっと触れましたが、大学生時代にやっていた家庭教師のアルバイトでは非常に評判も良く、月に50万円も稼いだ経験があったからなんですよね。
また、中学3年生から大学受験の勉強を始め、最難関である東大にも難なく現役合格を果たした林修さんは、言ってみれば受験のプロです。家庭教師はもちろん、予備校講師としては最適の人材と言えますね。
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最初に予備校講師となった予備校では、得意だった数学を教えていたのだとか。しかし、問題を解くことと、生徒に教えることは別だったようで、自分よりも優れた数学講師がたくさんいると感じたのだとか。
そこで林修さんは、自分が誰にも負けない科目は何か?を考えます。考えに考えた末にたどり着いた答えが……“現代文”だったわけですね。そこで、数学講師としてのプライドはあっさりと捨て去り、現代文の予備校講師として他のどの講師よりも努力することを決意しました。
現代文の予備校講師、“林修先生”の誕生です。
そう言えば、林修先生の名言に次のようなものもありました。
勝てる場所で誰よりも努力する。
それが勝つための最強の法則
何よりも、その理路整然とした分かりやすさ、独特の説得力のある語り口調などによって、現代文の予備校講師となった林修先生の評判は、みるみる高くなっていきました。2009年からは、多数の看板人気講師を擁する東進ハイスクールの専任講師となります。
東進ハイスクールのCMでまさかの大ブレイク!
そして、2013年の東進ハイスクールのCMで、名物講師として登場した林修先生は、その年の流行語大賞を受賞することになる「いつやるか?今でしょ!」で大ブレイクを果たします。
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そんな林修先生を芸能界が放っておくわけはありません。予備校講師としての仕事で全国を飛び回る一方、2013年からは芸能事務所であるワタナベエンターテイメントに所属。なんと「笑っていいとも!」や「ネプリーグ」などのレギュラーとして、タレント活動を開始。
現在でも、「林修の今でしょ!講座」や「林先生が驚く初耳学!」、「林修のニッポンドリル」などの冠番組を持つ他、多数の番組のレギュラーやゲスト出演されています。
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また、これらのタレント活動に加えて、イベントの講師や講演会などを務めることも多く、「今やる人になる40の習慣」や「林修の仕事がうまくいく『話し方』講座」、「林修の『今読みたい』日本文学講座」など、執筆活動も積極的にされているようです。
そんな林修先生の気になる年収について
元々、林修先生は東進ハイスクールの名物人気講師でした。世に予備校講師は数え切れないほどおられますが、超人気講師と言われる人はごくごく一握りに限られ、当然、各予備校の間で引っ張りダコになることから、その年収はケタ外れだと予想されます。
実際、まだタレント活動をされていなかった頃に、出演したバラエティ番組の中で年収を尋ねられた林修先生。そんなことをテレビで公言などできない林修先生は、耳打ちでアナウンサーに答えたのですが、その時のアナウンサーが目を見開いて驚くというシーンがあったようです。
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ちなみに、東進ハイスクールの人気講師の年収は、約3,000万円と言われています。しかし、これだけメジャーになった林修先生ともなると更に上乗せされているようで、予備校講師としての年収だけでも 5,000万円に及ぶのではないかと言われています。
さらに、タレント活動や本の印税、講演料などを加えると、少なくとも年収合計は1億円は超えている可能性が高いそうですね。
林修先生の名言集
東大法学部から長銀入行という絵に描いたようなエリートコースから一転、起業や株式投資に失敗した挙げ句に1,800万円もの借金地獄を経験した林修先生。学生時代の経験から予備校講師になり、やがてタレント活動を始めるまでの人気者に……
そんな波瀾万丈の経験をされた林修先生だからこそ、その言葉には重みがあると言えますね。実は、林修先生から発せられた名言は少なくありません。ここまでの記事の中にも、関連するものがあればその都度ご紹介してきましたが、最後に特に心に響いた林修先生の名言集をまとめておくことにします。
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- “人生は1つ勝てるものがあるだけでいい。他が全て負けてもいい。”
- “努力を努力と思わないほどに、努力をすることが当たり前。”
- “優秀な人間は環境に不満を言わない。”
- “東大入試に必要な努力は東大入学後に何の意味も持たなくなり、そのような何の意味も持たない努力を人に見せつけ、自慢するような人間になって欲しくない”
- “負ける奴のパターンは三つ。情報不足・慢心・思い込みである。”
- “努力は裏切らないという言葉は不正確。正しい場所で、正しい方向に向かって充分な量なされた努力は裏切らないが、正しい。”
- “大切なのは、失敗体験ですね。たくさん失敗したら、自分の負けパターンがわかってくる。そしたら、そうならないように先手が打てるようにもなります。”
- “やりたいことが見つからない、なんていう人がいるけど、やりたいことをやるんじゃなくて、やるべきことをやればいい。ただ、それだけです。”
まとめ
・林修の小学生時代のあだ名は「デブメガネ」で高校の時には100㎏を超えていた。
・林修は東大卒業後は長銀に入行するも半年で退職した。
・林修は企業や投資で結果的に1,800万円もの借金を作った。
・林修の年収合計は1億円は超えている可能性が高い。
いかがでしたでしょうか。
「いつやるか?今でしょ!」で一躍有名になった予備校講師、林修先生の学歴や経歴、そして気になる年収についてまとめました。
全国でも屈指の難関高校である東海高校から、東京大学法学部に現役合格し、卒業後は日本長期信用銀行に入行するという、誰もが羨むエリートコースを歩むも、たった5ヶ月であっさりと退職した林修さん。
長銀を退職した後は、起業や株式投資に失敗し、一時は1,800万円もの借金地獄にさいなまれていた林修さんを助けたのは、幼少期から続けてきた膨大な読書量と、それに裏打ちされた豊富な知識、そしてその華麗な学歴でした。
出典:https://otakaranet.com/
今や複数の冠番組までもつ人気タレントぶりを発揮されている林修先生ですが、そんな天国と地獄を味わった経験があるからこそ、先生から発せられる名言には重みがあると言えますね。