俳優の松田優作さんは愛する妻とまだ幼い3人の子供を残し、40歳という若さでこの世を去っています。
松田優作さんの死因は病気・膀胱がんと言われていますが、生い立ちから死去の真相をまとめました。
松田優作さんのプロフィール
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プロフィール
名前:松田 優作(まつだ ゆうさく)
生年月日:1949年9月21日
没年月日:1989年11月6日(満40歳没)
出生地:山口県下関市
死没地:東京都武蔵野市
身長:183cm(実身長/妻証言)(公称は185cm)
血液型:A型
職業:俳優、歌手
活動期間:1972年 – 1989年
配偶者:松田美智子 (1975年-1981年)、松田美由紀 (1983年-1989年)
著名な家族:長男: 松田龍平、次男: 松田翔太、長女: Yuki
松田優作さんの死
俳優、松田優作さんをご存知ですか?
もう松田優作さんが亡くなって約30年になるので、ご存知ない方、名前くらいしか知らないよって方も少なくないのではないでしょうか。
今や日本映画界を背負って立つ俳優に成長した、松田龍平さん、翔太さん兄弟のお父さんなんですよね。
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実は、松田優作さんはこの二人の息子さんがまだ小さい頃に、40歳の若さでお亡くなりになりました。
葬儀社のスタッフもハンカチを目に当て、取材陣の多くが思わず涙した。出棺直前の“お別れ”の時、「私を置いて行かないで」と夫人は遺体にすがりついた。それまで父親の死を理解できなかった長男の龍平くん(6)と次男の翔太くん(4)も母親の涙に誘われるように「置いて行かないで」とつぶやきながら大粒の涙をこぼした。
引用:優作さん置いて行かないで美由紀さん号泣 – 松田優作 https://www.nikkansports.com/
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1989年11月6日、午後6時45分に、入院中だった東京都武蔵野市にある西窪病院(現・武蔵野陽和会病院)で永眠されました。
松田優作さんはなぜ40歳という若さで、死を迎えることになったのでしょうか?
松田優作さんの死因と壮絶な闘病の経緯
松田優作さんの体に異変が生じたのは亡くなるわずか1年前
松田優作さんは1988年に公開された、深作欣二監督の時代映画「華の乱」に出演し、吉永小百合さんと共に主役を演じました。
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もちろんそれまでにも、少なからず体の異変は生じていたと思われますが、大の医者嫌いで知られている松田優作さんが、ようやく病院へ行くことを決心したのは、この映画を撮影している頃のことでした。
というのも尿がほとんど出なくなり、下腹部がパンパンに腫れてしまったからなんですよね。受診した結果、膀胱内に生じた血液の塊が尿道をふさいでることが判明・・・急遽、膀胱洗浄による尿排出の応急処置が行われました。
検査の結果、“膀胱癌”を発症していることが判明
同時に、内視鏡によって膀胱内を確認したところ・・・なんと腫瘍が一面に広がっていたのだとか。さらに行われた精密検査の結果、膀胱の外側の壁にできたがんが、膀胱の内側に広がっていたことが判明します。
結局、医師の診断は・・・“膀胱癌”でした。
実は、その診断より1年半前に、松田優作さんは血尿で他の病院の診察を受けており、その際には“膀胱炎”との診断を受けていたのだとか。もしかすると、その時点で膀胱癌を発症していたのかも知れませんし、その時に適切な治療を受けてさえいれば、あるいは現在もご存命だったかも知れません。
治療法は外科手術しかなかった・・・が、しかし!
当時の主治医によると、松田優作さんの膀胱癌の治療法としては、膀胱の全摘出、及び、膀胱外側の壁から骨盤内に転移しているがん細胞を取り除く外科手術しか選択肢はなかったと言います。
この外科手術を受けた場合、人工膀胱、人工肛門にしなければならず、もちろんその状態では激しいアクションはできなくなることは言うまでもありません。
医師からすると、選択肢などない厳しい状況だったわけですが、松田優作さんはこう答えました。
「1週間考えさせて欲しい」
と言うのも、ちょうどその時、ハリウッド映画「ブラック・レイン」への出演が決まっていたからなのです。
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しかも、この映画「ブラック・レイン」を観た方ならおわかりいただけると思いますが、松田優作さんが演じた役どころは、かなり激しいアクションが要求されていました。とても人工膀胱や人工肛門をつけた人が演じ切れるものではありません。
結局、松田優作さんは「今は手術もできないし、演技に集中するためにも、意識をハッキリと保ちたいため、強い薬も使いたくない」と答えたそうです。
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「このままだと3年もつかどうかです」
当初は、医師からそう宣告されていたそうです。が、しかし!がんはそんな医師の予想をはるかに上回る速さで進行していくことになります・・・
「ブラック・レイン」の撮影のためそのまま渡米
もしも本当の病状を、妻・美由紀さんに伝えたなら、映画「ブラック・レイン」の撮影のために渡米することを反対されることが分かっていた松田優作さん。膀胱癌で血尿が止まらない状態だったにもかかわらず、病状を隠したまま4ヶ月間の渡米を断行したんですよね。
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ただ医師から処方された薬だけを持って、ニューヨークに渡った松田優作さんは、毎晩のように医師に電話しては、血尿と激しい痛みを訴えていたそうです。毎日、それほどまでの苦痛と闘いながら撮影に挑んでいたなんて、映画からは微塵も感じられませんよね。
また、撮影が進んだ頃には、既に腰部骨転移もしていたことから、常に骨折のリスクを伴っていたそうです。そのような状態の中で、あんなに激しいアクション・シーンを迫力満点にこなしていたかと思うと、今更ながらにその精神力の強さに驚愕するしかありません。
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松田優作さんの正式な死因
そんな松田優作さんの遺作「ブラック・レイン」は、1989年9月22日に公開されたのですが、それから約1ヶ月が過ぎた10月下旬、映画の撮影中にも決して漏らさなかったという弱音が出たと言います。
「もう、だめだね・・・」
そして、1989年11月6日の午後6時45分、まるで遺作映画「ブラック・レイン」の公開を見届けるように、松田優作さんはその壮絶な40年の人生に幕を降ろしました。
発表された松田優作さんの正式な死因は・・・
「膀胱癌の腰部転移のため」
松田優作さんは死のその瞬間、一筋の涙をこぼしたといいます。
愛する妻と、まだ幼い三人の子供を残して旅立たなければならない悔しさからでしょうか。それとも、最期の最期まで「俳優・松田優作」として頑張り抜いた、自分に対するねぎらいでしょうか・・・
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しかし、なぜ松田優作さんはあの時、後に死因となる膀胱癌の手術を拒んだのでしょう?松田優作さんほどの実力がある俳優であれば、またハリウッドから声がかかる可能性も十分にあったと思われます。
一旦、病気療養のために撤退するという選択肢もあったんじゃないでしょうか?
その問いに対する答えは、もしかすると松田優作さんのそれまでの生い立ちに隠されているのかも知れません・・・
松田優作さんの生い立ちから死の真相に迫る
日本人の父、韓国人の母の間に愛人の子として生まれる
松田優作さんは、山口県下関市の地に、日本人の父親と在日韓国人の母親の元に、私生児・・・いわゆる愛人の子として生まれました。
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ちなみに父親は、長崎県出身の人で、長崎には妻子が待つ身だったことから、母親が松田優作さんを身ごもったことを知ると、無責任にもそのまま長崎に逃げ帰ったそうです。
在日韓国人&私生児という生い立ちに強いコンプレックスが・・・
つまり、松田優作さんは在日韓国人であり、かつ“私生児”という二重の強いコンプレックスがあったようなんですよね。それによって少年時代にどれほどの辛い目にあってきたかが垣間見られるエピソードをご紹介しましょう。
その後、俳優として歩き出した松田優作さんが、当時絶大な人気を誇った刑事ドラマ「太陽にほえろ!」に柴田純(通称・ジーパン)刑事役としてレギュラー出演する頃になると、たちまち注目を集めるようになりました。
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そして、現在もなお語り継がれている「なんじゃこりゃ!」の殉職シーンを演じ、当時の話題をかっさらうほどの活躍をみせるんですよね。
しかし、その一方で・・・
実は、当時の松田優作さんの本名は、母親の姓からくる“金優作”だったのですが、普段は松田優作という芸名で、ドラマや映画に出演されていました。そして、「太陽にほえろ!」でのブレイクを機に、次のような理由を述べて法務省に帰化申請を行い、日本国籍を取得したそうです。
「現在は松田優作という通称名を使っているので番組の関係者にも知られていませんが、もし僕が在日韓国人であることがわかったら、みなさんが失望すると思います」
引用:松田優作 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/
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これによって、松田優作さんの通名だった“松田優作”が本名となったわけですが、このことから、松田優作さんは自らの生い立ちに相当強いコンプレックスを持っていたことが窺われます。
松田優作さんの死因の真相は・・・“今しかない!”という思い
もちろん、松田優作さんの中にそれほど強い思いがあったわけですから、ずっと以前より帰化申請は考えていたことでしょう。それを「太陽にほえろ!」でブレイクした時に行ったと言うことは、「役者として広く世間に認められた今しかない!」そういう思いがあったのかも知れませんね。
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そして、それは「ブラック・レイン」のクランクイン前にも同じことが言えるのではないでしょうか。「世界に俺の演技を見せつけるのは今しかない!」と・・・
貧しさや差別に耐え抜いた人間がようやく掴んだ、ハリウッド映画出演という千載一遇のチャンスです。たとえ死に直面することが分かっていたとしても、そうやすやすと手放すことはできなかったのかも・・・
出典:https://dejavuca.com/
だからこそ、こんな鬼気迫る演技ができたにちがいありません。
まとめ
・松田優作は膀胱がんになったにも関わらず治療を断り、ハリウッド映画に出演した。
・松田優作が映画出演にこだわったのは自分の生い立ちにコンプレックスがあったからかもしれない。
いかがでしたでしょうか。
愛する妻とまだ幼い3人の子供を残し、40歳という若さでこの世を去らなければならなかった、松田優作さんの死因と死の真相についてまとめてみました。
松田優作さんの葬儀後、美由紀夫人は次のように語られています。
「夫は私に3人の子どもという最大の宝を残してくれました。本当に素晴らしい人でした」
特に最近は、松田龍平さんと松田翔太さんを見ていると、ちょっとした時に見せる表情や仕草、佇まいなど、お父さんの面影が感じられて、思わずドキっとすることがあるんですよねぇ・・・