かつて、「10代のカリスマ」として一世を風靡した尾崎豊さんですが、極度のスランプや人間不信、違法薬物による逮捕、母親の死などによって次第に精神的に追い込まれ、26歳という若さで突然この世を去りました。
今なお多くの謎が残ると言われている、尾崎豊さんの命日となってしまった一日の詳しい状況や、尾崎豊さんの死因についてまとめました。
尾崎豊さんのプロフィール
出典:https://ameblo.jp/
プロフィール
名前:尾崎 豊 (おざき ゆたか)
誕生日:1965年11月29日
出身地:東京都練馬区
死没:1992年4月25日(26歳没)
学歴:青山学院高等部中退
身長:178cm
血液型:B型
ジャンル:ロック、フォーク
職業:シンガーソングライター、詩人、実業家
活動期間:1983年 ~ 1992年
息子:尾崎裕哉
尾崎豊さんの経歴
高校生でデビューを果たす
尾崎豊さんは高校三年生の秋、音楽で生きていくことを決意し、CBSソニーとビクターが主催したオーディションに応募し、見事、CBSソニーのオーディションに合格し、翌1983年、「15の夜」でデビューを果たしました。
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シングルカットされた「15の夜」は大ヒットしたのですが、この曲を収録したデビューアルバム「十七歳の地図」は、初回プレスが2000枚ほどで、所属事務所が積極的なプロモーションが行わなかったため、あまり売上は良くなかったようです。
その後、クチコミによりじわじわと人気が広がっていった尾崎豊さん。3枚目のシングル「卒業」をリリースすると、その過激で独特の歌詞が十代の若者を中心に話題を呼び、セカンドアルバム「回帰線」はまたたく間に大手音楽チャート1位に駈け上りました。
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たちまち10代のカリスマ的存在に・・・
10代の頃の尾崎豊さんは、社会に対する疑問や支配への反抗といった、あくまで10代の若者からみた社会をテーマにした曲が多かったので、マスメディアからは“10代の教祖”、“若者のカリスマ”などと呼ばれていました。
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また、この時代は校内暴力や非行が横行し、偏差値教育や受験戦争のひずみが問題となっていた時代でもあり、そんな問題意識と相まって、一部の若者の間で社会現象となるほどのブームを起こしたと言われています。
尾崎豊さんが10代最後の日にリリースした3枚目のアルバム「壊れた扉から」も大ヒットを収め、同時期に行われていたツアーもチケットの入手が難しい状態が続くなど、その人気は絶頂を極めました。
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“10代のカリスマ”が20代になって方向性を見失う・・・
“10代のカリスマ”として一世を風靡した尾崎豊さんですが、皮肉にも20歳になった頃から、音楽の方向性を見失ってしまい、突然、無期限の芸能活動休止を宣言し、単身アメリカに渡りました。
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当時、新しい曲が書けないことに苦悩していたという尾崎豊さん。結局、アメリカでもその状況を変えることはできず、何の収穫も得られぬまま、その年の年末に帰国しました。
そんな中、当時の所属事務所が立ち上げたレコード会社へ移籍することが決まり、それまで懇意にしていたプロデューサーや音楽スタッフとも離れることになります。それでも、新しいアルバムの制作に邁進する尾崎豊さんでしたが、やはり思うように進まず、何度も中断することに・・・
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さらには、新曲の発表がないまま行われた、1年半ぶりのライブツアーが始まるも、ツアーの途中で体調不良で倒れ、残りのツアーは中止となるなど、音楽活動が思うように進まない日が続いたようです。
さらに違法薬物での逮捕が尾崎豊さんに追い打ちをかける
さらに、その年の暮れには、尾崎豊さんは違法薬物で逮捕される事態が発生し、さらに精神的に低迷するとともに、当時のバックバンド「Heart Of Klaxon」のメンバーとも関係が悪化したと言います。
ただ、この逮捕があった時、拘置所の中で作曲したという名曲が・・・「太陽の破片」なんですよね。
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芸能界復帰後にリリースした、この「太陽の破片」が大ヒットを収め、尾崎豊さんはこの曲で、フジテレビの音楽番組「夜のヒットスタジオ」に最初で最後のテレビ出演をし、当時大変な話題になりました。
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そして、そんな勢いのまま、東京ドームで復活ライブを行うのですが・・・同時期に制作していたアルバム「街路樹」は、発売延期を切り返し、シングルカットされた「核(CORE)」も決して満足のいく出来とは言えなかったようです。
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プライベートでは一般女性と結婚し、長男が誕生するも・・・
一方、プライベートでは、尾崎豊さんが22歳の時、一般女性である繁美さんと結婚をしました。丁度、音楽活動が思うようにいかずに悩んでいた頃だと思われます。
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しかし、23歳の時には長男となる裕哉くんが誕生し、新たな価値観を見出した尾崎豊さんは、1990年にレコード会社を古巣であるCBSソニーに復帰し、2枚組のアルバム「誕生」をリリース。オリコン1位を獲得します。
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翌年には大規模ツアーを行うなど、尾崎豊さんは完全復活を遂げたかに見えたのですが・・・所属事務所移籍問題などで再び精神的に追い詰められることになります。
その後、遺作となってしまった「放熱への証」の制作に取りかかるも、その矢先である1991年末には最愛の母親が急死するという不幸に見舞われ、精神状態はさらに悪い方向へ向かっていったようです・・・
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尾崎豊さんが突然の他界・・・命日やその死因は?
尾崎豊さんの命日と死因、その日の詳しい状況について
尾崎豊さんの命日は・・・
1992年4月25日 です。
実に、26歳という若さで突然にこの世を去った尾崎豊さんの、“命日”となってしまった日の詳しい状況は次の通りです。
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1992年(平成4年)4月25日早朝、当時の尾崎の自宅であるマンションから約500メートル離れた、足立区千住河原町の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見され、5時45分ごろ、通報で墨田区内の白鬚橋病院に運び込まれる。
診察した医師は「生命に関わることも考えられるので、専門医に見てもらった方がいい」と診断したが、尾崎は妻と兄ともに自宅マンションに戻る。
しかし、10時ごろになって容体が急変、呼吸が止まっているのに気がついた家族が約1時間後の11時9分に119番通報。搬送先の日本医科大学付属病院で手当を受けるも、午後0時6分に死亡した。死因は違法薬物中毒による肺水腫 。
尾崎豊 – Wikipedia(一部改変) https://ja.wikipedia.org/
ということで、尾崎豊さんの正式な死因は・・・
「違法薬物中毒による肺水腫」ということになっているようです。
しかし、このWikipediaの情報が正しいとすると、どうにも腑に落ちない点が2つほどあるんですよね。尾崎豊さんの死に関する不審な2つの点とは・・・
- なぜ尾崎豊さんは全裸で傷だらけで倒れていたのか?
- なぜ無理に自宅マンションに連れ帰ったのか?
この2つの点について詳しく見ていくことにしましょう。
尾崎豊の死因の謎① なぜ全裸で傷だらけで倒れていたのか?
4月25日と言えば、日中ならば温かい日射しがあれば、ポカポカと暖かい時期ですが、早朝となるとまだ“肌寒い”というレベルではないと思われます。
この一報を聞いて、アルコール依存が疑われていた尾崎豊さんですから、泥酔して自宅に戻る途中に脱いじゃったのかも・・・なんて思った人も少なくなかったのではないでしょうか。しかし実際は、とんでもなく深刻な状況だったようなんです。
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この点について、Yahoo!知恵袋に説得力のある回答が寄せられていたので、ご紹介しましょう。
なぜ、民家で倒れた時は、傷が多く、全裸だったのかというと、尾崎は民家で倒れる前に、致死量ほどの違法薬物を使用したらしく、それ程の違法薬物を使うと、体がかなり熱く感じるようです。服を脱いだのはそのためでしょう。
あと、ひどい傷については、錯乱した尾崎自身が自分で自分を傷つける行為を行っていたことがわかっています。裁判で明らかになったことで、実際に目撃証言あり、警察も自分で自分を傷つける行為の前後は民家の庭先で尾崎が一人でいたことを確認しています。
さらに、検視による裏付けもされており、明らかに他人からの人為的な行為による傷ではないことがわかっています。もともと外傷は、直接の死因とは関係はないようです。
引用:尾崎豊さんは なぜ全裸で亡くなったのですか? – Yahoo!知恵袋(一部改変) https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/
尾崎豊の死因の謎② なぜ無理に自宅マンションに連れ帰ったのか?
最初に尾崎豊さんを診察した医師は、次のような診断をしたと先ほどのWikipediaに書かれていました。
「生命に関わることも考えられるので、専門医に見てもらった方がいい」
搬送先の病院に駆け付けた妻である尾崎繁美さんに、こう助言したと言います。では、繁美さんはなぜこの助言を無視して、自宅に連れ帰ってしまったのでしょうか?
この点について、尾崎繁美さんは次のように説明したとされています。
「病院側が、”脈も体温も正常”と答えたため、尾崎豊を連れ帰った」
引用:尾崎豊の死因の真相!その時、妻・尾崎繁美がとった行動とは? https://anincline.com/
また、尾崎豊さんの体内から検出された薬物の量は致死量を超えていたそうなのですが、この点についても、次のように説明したそうです。
「薬物はやっていない。医師が打った鎮痛剤でおかしくなっているだけ」
今回、尾崎豊さんの死因について色々と調べていたところ、尾崎豊さんが救急搬送された時のもの言われる写真を見つけることができました。
しかし、顔も体もアザだらけの、それはもうあまりに酷い状態の尾崎豊さんが写った画像だったので、結局この記事に掲載することはできませんでした。
そんな状態にもかかわらず、嫁の尾崎繁美さんが自宅に連れ帰ったのには激しい違和感を覚えました。
実際、尾崎豊さんは病院に搬送されてから、たったの約1時間半で自宅マンションに連れて帰られ、それから2時間余りで帰らぬ人になっているんですよね。
出典:https://www.uta-net.com/
これらの点から、尾崎繁美さんに対する疑念が広がったようなのですが・・・これ以上は、繁美さんの名誉に関わることなので、差し控えておくことにします。
まとめ
・尾崎豊の命日は1992年4月25日で、享年26歳だった。
・尾崎豊の死には数々の不審な点があるが、解明されないままである。
いかがでしたでしょうか。
尾崎豊さんが突然この世を去ってから、25年以上も経過しているにもかかわらず、今なお日本の音楽シーンに多大な影響を与え続けていると言っても過言ではありません。
最後に、尾崎豊さんが16歳の頃、音楽で生きていくことを決意して受けたオーディションで、最初に歌ったのが「ダンスホール」という曲でした。
そして、尾崎豊さんが生前最後のステージのアンコールで歌った曲、つまり多くの観客の前で歌った最後の曲が・・・この「ダンスホール」だったんですよね。
名無し
2023/07/19 03:59
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