ジュリーという愛称で親しまれる歌手の沢田研二さんですが、現在では丸刈りになりさらに激太りしたとの噂が。「劣化した」とも言われています。
今回は噂の真相と、若い頃の美しい姿を振り返りまとめました。
沢田研二さんのプロフィール
活動名:沢田 研二
出生名:澤田 研二
別名:ジュリー
生誕:1948年6月25日・鳥取県鳥取市生まれ
出身地:京都府京都市
学歴:京都府立鴨沂高等学校中退
ジャンル:J-POP、ポップ、歌謡曲、グラムロック
職業:歌手、俳優、作詞・作曲家
担当楽器:ボーカル
活動期間:1967年~
レーベル:ポリドール(1971年~1984年)、東芝EMI(1985年~2001年)、JULIE LABEL(2002年~)
事務所:渡辺プロダクション(1967年~1984年)、ココロ・コーポレーション(1985年~)
共同作業者:ザ・タイガース、PYG、加瀬邦彦、早川タケジ
沢田研二さんは、1948年に両親の実家がある鳥取県鳥取市に生まれ、京都府京都市で育ちました。少年時代はプロ野球選手を目指していて、中学の頃は京都府大会に進出したこともあります。そこで敗れたことで野球選手の夢は諦め、高校では空手部に入部したそうです。
歌手への道に進むきっかけは、京都のダンス喫茶「田園」でドアボーイのアルバイトをしていたこと。ある日、お店に出演していたグループサウンズのバンド「ザ・サンダース」に声を掛けられた沢田研二さんは、ローディー(付き人)兼ボーカリストとして加入することになりました。
そのステージを見た「サリーとプレイボーズ」のサリー(岸部一徳さん)に誘われ、「ファニーズ」としての活動をスタートさせ、『ザ・ヒットパレード』に出演が決まるなど、一気に注目を集めます。「ザ・タイガース」という名前になったのは、番組出演の直前でした。
「ザ・タイガース」は1967年にデビューし、セカンドシングル『シーサイド・バウンド』で人気が爆発し、グループサウンズの頂点の存在へと躍り出ます。特に中性的で端正な顔をした沢田研二さんは、貴公子的な存在として10代の少女を中心に熱狂的な人気を博すようになります。
一躍、国民的アイドルになった「ザ・タイガース」ですが、1971年に日本武道館で行われたコンサートをもって解散します。
その後、沢田研二さんは「PYG」(ピッグ)という新しいバンドに参加しました。「PYG」の活動と並行して、1971年11月にはソロデビューを果たします。
1973年にソロで発売した『危険なふたり』がオリコン1位を獲得し、日本歌謡対象を受賞し、ソロとしての人気も確固たるものにした沢田研二さん。1975年には、ザ・ピーナッツの伊藤エミさんと結婚し、比叡山延暦寺にて挙式をあげます。7年間の交際を実らせた結婚でした。
しかし同年、沢田研二さんは東京駅の新幹線ホームで駅員と口論になり暴行事件を起こし、翌年にも新幹線の中で乗客に絡まれ暴行事件を起こします。二つの事件をきっかけに紅白歌合戦を自粛するなどしますが、人気が衰えることはありませんでした。
それでも、事件をきっかけに一般のテレビ番組出演を控えていた沢田研二さんは、これまでの意識を変えて、ヴィジュアルを重視したスタイルを貫いていきます。
音楽活動に加えて俳優としても活躍している沢田研二さん。1979年に公開された映画『太陽を盗んだ男』では主演を務め、第4回報知映画祭で主演男優賞を受賞しています。
また、沢田研二さんの人気絶頂期に公開された1981年公開の映画『魔界転生』も、大ヒットとなりました。その後も映画やテレビドラマに多数出演し、大きな存在感を残しています。
最近では、音楽劇を中心に活動していて、『悪名 The Badboys Return!』『音楽劇 大悪名 ~The Badboys Last Stand!~』などの演目で、全国のホールで多くの観客を魅了しています。
【丸刈り&激太り】沢田研二さんの現在が劣化?
山本太郎さんの応援演説に姿を現した沢田研二さん
出典:https://www.nikkan-gendai.com/
こちらの写真は、2012年の衆議院選挙で山本太郎さんの応援演説に来ていたときのもの。顔も身体も、すっかり太ってしまっていますね。元々お酒好きだという沢田研二さん。昼間から新橋のガード下で浴びるようにお酒を飲んでいる姿が目撃されているという報道もありました。
近年はライブには出るがメディアに露出しない生活を送っていた沢田研二さんは、2012年5月に朝日新聞のインタビューでこう語っています。
18才でこの世界に入り、いつまでもアイドルじゃないだろ。昔はジュリー、今はじじい。(中略)60才超えたら余生。ひそやかにやるのが今の自分に合っている
引用:朝日新聞インタビュー(http://www.news-postseven.com/)
劣化だとか激太りとか言われていますが、自分の年齢や衰えも理解したうえで飾らずに自分らしく生きている、沢田研二さんの生き方が現れているのかも知れませんね。
丸刈り&激太りの沢田研二さん
こちらの写真は、2017年7月に報道された「沢田研二さんデビュー50周年記念ライブ」での沢田研二さん。近年激太りしていた体にプラスして、丸刈りになった髪型が衝撃的ですよね。
歌手の沢田研二(69)が16日、デビュー50周年記念ライブを東京・NHKホールで開幕させた。
67年「ザ・タイガース」でデビューして以降のシングルをそれぞれ短縮し50曲熱唱。先月まで出演の舞台「大悪名」の役作りで丸刈りにした頭で登場し「勝手にしやがれ」「TOKIO」などの名曲で満員の3500人を沸かせた。引用:沢田研二、デビュー50周年ライブ 丸刈りでシングル50曲(http://m.sponichi.co.jp/)
丸刈りにした頭は、舞台『大悪名』の役作りということですが、写真を見る限り、若き日の美しく耽美で魅力的な沢田研二さんの姿は面影がありませんね。
当日のコンサート中に、沢田研二さんの若い頃の映像が流れると、「あれは親戚の子たち」と容姿の変化を自虐的に語っていたという沢田研二さん。ご本人も「変わってしまった」という自覚は十分にあり、受け入れているようです。
50周年記念コンサートでは、「ザ・タイガース」以降の曲を50曲も歌いあげたという沢田研二さん。大好きな沢田研二さんの曲を50曲も聞けるなんて、往年のファンも喜んだでしょう。
沢田研二さんは2014年3月にこう語っています。
過剰な情報を流して無理に振り向いてもらっても何にもならない。好感度ランキングがやたら大事にされて、今の芸能人はみんなが『いい人と思われたい症候群』になっている。こういう雰囲気が嫌いなんだよ
引用:毎日新聞インタビュー(http://www.news-postseven.com/)
自分がどう思われようと気にしないというスタイルの沢田研二さん。
最近は原発反対や反安倍政権などの発言も増えているというようですが、沢田研二さんのファンは外面の変化も内面の変化も受け入れ、見てくれの格好良さではなく、ありのままのジュリーを求め、受け入れているようですね。
若い頃の沢田研二さん振り返り
「ザ・タイガース」時代(1967-1971年)
当日は45,000人のファンが詰めかけ、熱狂のライブとなりました。病気で療養中だった岸部史郎さんも車いすでかけつけるサプライズがあり、東京ドームは感動の歓声で包まれたということです。
PYG時代(1971-1972年)
「PYG」(ピッグ)は、沢田研二さんが「ザ・タイガース」解散後に参加したロックバンド。当時はまだロックが珍しく、「ニューロック」と呼ばれました。沢田研二さんは、萩原健一さんとともにツインボーカルを担当しました。
ジュリーとショーケンという2大アイドルスターによるツインボーカルは大変話題となりましたが、お互いの熱狂的なファンの間で熾烈な争いが勃発することもあったようです。
例えば、沢田研二さんがボーカルを取っている時に、萩原さんのファンがタンバリンで妨害したりということがライブで起こったとか。それだけ熱心なファンが多かったことがわかりますね。
ザ・ピーナッツの伊藤エミさんと結婚した頃(1975年)
1975年に、ザ・ピーナッツの伊藤エミさんと結婚し、比叡山延暦寺で式を挙げた沢田研二さん。同日に行われた比叡山フリーコンサートでは夫婦そろってステージに上がり、結婚報告をしました。
そのコンサートで沢田研二さんはブルーのラメ入りのアイシャドウをしてファンの前に現れたと言います。そのころから、奇抜なヴィジュアルがさらにエスカレートしていきました。
映画『太陽を盗んだ男』のころ(1979年)
映画『太陽を盗んだ男』は、シリアスかつポップでエネルギッシュな活劇映画。中学校の理科教師でありながら、原子力発電所から液体プルトニウムを強奪し、アパートの自室で原爆を完成させてしまう、危険な男を演じた沢田研二さん。
激しさと影を併せ持つ妖しい雰囲気は、沢田研二さんにぴったり合うはまり役ですね。
映画『魔界転生』の頃(1981年)
映画『魔界転生』では天草四郎時貞役で主演を務めた沢田研二さん。悪役なのに妙に色っぽい役柄がマッチしていますね。
作中で真田広之さんとのキスシーンも話題になりました。
過激な衣装で紅白歌合戦に登場(1981年)
徐々に派手なコスチュームになっていっていた沢田研二さん。第34回NHK紅白歌合戦に『晴れのちBLUE BOY』で出演した沢田研二さんは、軍服にサーチライトを装着したコスチュームで登場しました。
ベトナム戦争のアメリカ兵をモチーフとしたこの衣装を、総合司会のタモリさんは「歌う日露戦争」と形容しました。
1967年~1981年の、沢田研二さん19歳から33歳までの美しい姿を振り返ってみました。
中性的な顔立ちながら、激しい男らしさをも含有しているような不思議な魅力で、一世を風靡していたことがわかりますね。
まとめ
・沢田研二が頭を丸刈りにしたのは舞台『大悪名』の役作りのため。
・沢田研二は若い頃には国民的スターだった。
以上、沢田研二さんの激太り・丸刈りについてと、若い頃の美しい姿をまとめてみました。劣化したなどと言われますが、人が老いていくのは仕方がないことですよね。
沢田研二さんももうすぐ70歳です。確かに少し太った感じは否めませんが、沢田研二さんの年齢と今までの苦労を考えると、素敵に年を重ねてきたといえるのではないでしょうか。
デビュー50周年を迎えた沢田研二さん。沢田研二さんや「ザ・タイガース」の名曲たちはこれからも歌い継がれることでしょう。また、沢田研二さんも今後もコンサートに舞台にお芝居に…と活躍されていかれるはず。
今後どんな新しい顔を見せてくれるのか、期待していきましょう♪