古畑任三郎シリーズで圧倒的な人気を博した田村正和さんはここ数年出演作が少なくその体調が心配されます。
今回は田村正和さんのプロフィール、近年の主な出演作、激やせの姿と病気、若い頃~現在までの活躍を写真で振り返ります。
目次
田村正和さんのプロフィール
本名:田村 正和
生年月日:1943年8月1日
出生地:京都府京都市右京区
職業:俳優
ジャンル:テレビドラマ・映画・舞台
活動期間:1961年~
配偶者:既婚
著名な家族:父:阪東妻三郎、長兄:田村高廣、次兄:田村俊磨、弟:田村亮、異母弟:水上保広、甥:田村幸士(亮の長男)
事務所:新和事務所
主な作品:『古畑任三郎』シリーズ『眠狂四郎』シリーズ、『うちの子にかぎって…』『パパはニュースキャスター』『ニューヨーク恋物語』『過ぎし日のセレナーデ』『鳴門秘帖』『赤穂浪士』
田村正和さんは、1943年に歌舞伎俳優の阪東妻三郎さんの三男として生まれ、長兄の田村高廣、弟の田村亮と共に、「田村三兄弟」と呼ばれ、俳優一家として育ちました。
生まれたのは京都ですが、その後世田谷へ移住し、9歳の頃、父の阪東妻三郎さんが他界します。
田村正和さんは1960年に長兄・高廣さんが主演する映画の撮影現場を観に行ったところ、勧められて映画の端役として出演し、スクリーンデビューします。
その後、1961年には松竹大船と専属契約し、同年の9月、映画『永遠の人』で本格デビューを飾ります。
1966年には事務所を退社しフリーになりますが、なかなか主役がもらえず、脇役ばかりが続きます。
転機が訪れたのは、1970年に出演したドラマ『冬の旅』です。
『冬の旅』で人気に火が付いた田村正和さんは、それ以降、繊細な二枚目青年役を中心に、さまざまなドラマに出演していきます。
1972年の時代劇『眠狂四郎』や1979年『赤穂浪士』などで人気を不動のものにし、少し影のある哀愁ムード漂う風貌が女性ファンを惹きつけました。
この頃から、「憂愁の貴公子」というあだ名がつきます。
40歳を過ぎてからは、コミカルな作品にも多数出演し、三枚目の役柄もこなすようになります。
『パパはニュースキャスター』や『ニューヨーク恋物語』などトレンディードラマからコメディーにも引っ張りだこでした。
1994年から放送の『古畑任三郎』では和製刑事コロンボとも言える独特なキャラクターが大ヒットし、田村正和さんの代表作とも言える作品になりました。
『古畑任三郎』は10年以上にわたり演じました。
数々の賞も獲得する演技派俳優の田村正和さんですが、この頃、めっきりテレビで顔を見ることはなくなりました。
そして、芸能界引退説や激やせしたという報道が出たり、一時期は死亡説まで流れていました。
最近の田村正和さんの画像と、若い頃の写真を振り返りながら、病気や激やせ疑惑についても迫っていきます。
田村正和さん死亡説が流れた頃は出演ドラマが激減
2013年11月、死亡説がマスコミを駆け巡る
2013年11月12日、突然、田村正和さんが死亡したとの説が駆け巡り、マスコミが騒然としました。
すぐに田村正和さんのマネージャーから「生きています!」という確認が取れましたが、動向がまったく見えなくなっていたことから、死亡説が流れたようです。
死亡説が流れた原因として、その頃、田村正和さんが「ここ数年で一気に老いた」と言われていることが原因として挙げられます。
ドラマの現場でも、「ずっと喉の調子が悪く、声が出ない」「ドラマの待機時間もイスに座ったままで、イスごとスタッフが田村さんを移動するようになった」と言われています。
イスごと移動…ということは、かなり体重も軽くなっているのでしょうか。
2008年以降、ドラマのペースが減っていた
確かに、田村正和さんの出演作を見てみると、2008年頃から、連続ドラマの出演はほぼありません。
単発のスペシャルドラマに年に1本か2本出演するだけになるなど、かなりペースが減っています。
2011年に出演したのは連続ドラマ『告発〜国選弁護人』1本のみ。
2012年は、テレビ朝日開局55周年記念ドラマスペシャル『十万分の一の偶然』1本のみ。
2013年も、テレビ朝日開局55周年記念ドラマスペシャル『上意討ち 拝領妻始末』1本のみです。
田村正和さんの出演作は2016年3月止まり
最新作は2016年3月のスペシャルドラマ
2011年は連続ドラマ1本、2012年と2013年はドラマスペシャル1本のみ出演。
2014年はスペシャルドラマ1本とドラマ『おやじの背中』1話にのみ出演、そして2015年もスペシャルドラマに1本だけ出演となっている田村正和さん。
そんな田村正和さんの最新作は、2016年3月に放送された松本清張ドラマスペシャル『地方紙を買う女〜作家・杉本隆治の推理』です。
田村正和さんは主演で、広末涼子さん、水川あさみさんという豪華な共演者でした。
しかし、それ以降、現在2017年末まで、放送された出演作がありません。
しかし、実は、まだ放送されていませんが、田村正和さんが主演の『眠狂四郎The Final』の撮影が行われていました。
田村正和さんの現在は激やせ!病気で手術した可能性も
19年ぶりに眠狂四郎を演じることになった田村正和さんは、2017年にメディアの前に姿を現しました。
古畑任三郎の頃と比べると、だいぶ目元が落ちくぼんでいて、両手もやせ細っているようですね。
2017年で74歳になるので、仕方のないことですが、激やせしてしまったと言っても過言ではないですね。
また病気で手術をした、という話もあります。
田村正和さんが初めて狂四郎役を演じたのは20代の頃で、田村正和さんにとっても思い入れのある作品だったようです。
まだ放送日が未定なのがもどかしいですね。
ここ数年「キャリアを終えるきっかけになるような企画に出たい」と言っていたという田村正和さん。
『眠狂四郎 The Final』がその作品になるのでしょうか。
とても悲しいような気がしますが、放送されるのが楽しみですね。
田村正和さんの若い頃の写真&活躍を紹介
デビュー当時(1960年代)
この頃の写真を見ると、確かに若いですが、ニヒルな雰囲気の笑顔など、いまの田村正和さんのイメージそのままですね。
1960年代の田村正和さんは、地味で暗い風貌であったことや、声があまり通らないことから、ドラマの話が来ても脇役ばかりでなかなかブレイクできなかったそうです。
しかし、1970年代になってからは、地道な演技が評価され、その繊細な風貌が女性ファンの心を掴みます。
着実に人気を得ていった1970年代
1970年に出演したドラマ『冬の旅』で存在を認識され、人気に火がついていった田村正和さん。
それでもこの頃はまだ、「阪妻(阪東妻三郎)の息子」なんていう風に呼ばれていたんですね。
いま流行りの「2世タレント」のような扱いだったのでしょうか。
爽やかなイケメンというわけではないながら、どこか哀愁漂う、内に何か熱いものを秘めているような風貌が受け、のちに「憂愁の貴公子」と呼ばれるようになります。
田村正和さんの大切な作品『眠狂四郎』(1972年~)
次第に時代劇の顔にもなっていった田村正和さん。
1972年に出演した『眠狂四郎』が大ヒットし、この作品は田村正和さんにとっても特別な作品になりました。
時代劇メイクがばっちり似合っていてかっこいいですね。
コミカルな演技も次第に人気に(1980年代)
憂愁の貴公子と言われ、渋い演技で人気を博していた田村正和さんでしたが、1980年代からはコミカルな演技でも人気を確立します。
例えば1987年に放送された『パパはニュースキャスター』では、独身のニュースキャスターに突然隠し子の3人の娘が現れるというドタバタコメディーを演じました。
古畑任三郎が大ヒットした1990年代
そして1994年からはご存知『古畑任三郎』が大ヒットします。
この時、田村正和さんは51歳。
51歳にして、大ヒット作に恵まれるなんて、すごいですよねえ。
まとめ
・田村正和は出演ドラマが激減したため死亡説まで流れた。
・田村正和が激やせして病気で手術をした噂もある。
田村正和さんの現在の写真、そして若い頃から今までの写真を振り返ってきましたが、いかがだったでしょうか。
1960年代から活躍しつづけ、初めは憂愁の貴公子と呼ばれ、その後はコミカルな演技やトレンディドラマにも引っ張りだこだった田村正和さん。
そして、50歳を超えたころに、大ヒット作である『古畑任三郎』に出演されています。
70歳を超え、2017年の写真を見ると、確かに痩せていて、年を取った様子が見られます。
しかし、70歳を超えてなお、かつて20代の時に演じた時代劇『眠狂四郎』に出演し、最終作を完成させようとしています。
その俳優魂には脱帽です。
真偽のほどは分かりませんが、2017年に手術をしたという噂もある田村正和さん。
これからもどうかお元気で、無理をせずに活躍していってほしいです。