2018年5月ご逝去された昭和のトップスター西城秀樹さんは若い頃とてもイケメンで郷ひろみさん、野口五郎さんと共に新御三家として一世を風靡しました。
今回は西城秀樹さんの若い頃の画像や活躍エピソードを紹介します。
目次
西城秀樹のプロフィール
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芸名:西城秀樹
本名:木本龍雄(きもと たつお)
生年月日:1955年4月13日(63歳没)
所属:Battle Cry Sound
1970年代のアイドルとして有名な西城秀樹さん。
子供の頃からバンドを組んでポジションはドラムだったそうです。
洋楽が好きだったようで、高校時代にジャズ喫茶でバンドメンバーとして歌っているところをスカウトされました。
西城秀樹さんの父親が芸能界入りに猛反対したので、家出同然で上京しましたが、その決断は間違っていなかったようです。
「情熱の嵐」がオリコンチャート入りしたことでトップアイドルとなり、西城秀樹さん、郷ひろみさん、野口五郎さんと合わせて「新御三家」と呼ばれて絶大な人気を誇りました。
子供の頃から洋楽が好きだったことも影響してか、洋楽のカバーなど幅広い活動を見せて、そのイケメンっぷりから絶大な人気を誇りました。
しかし、2018年5月に心不全で亡くなってしまいました。
昭和のアイドルを代表する歌手で、亡くなってしまってもなお大スターとして輝き続けているのが、西城秀樹さんです。
西城秀樹は若い頃は負けず嫌い
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西城秀樹さんは比較的田舎の出でした。
しかし、上京するとたちまち有名になって頑固な父親の反対もものともせず、絶大な人気の誰でも知っているアイドルになりました。
しかし、まだ人気が出ていないとき、「絶対スーパースターになる」と衣装担当の塚田伸夫さんに宣言していたほどでした。
自信家と取られかねない発言ですが、自分に自信があるというよりも、とにかく負けず嫌いだったそうです。
西城秀樹さんはその後、誰もが知るビッグスターになってCDもたくさん出しました。
そして、脳梗塞に苦しんで闘病生活を余儀なくされた時期もありましたが、全て乗り越えてきたのは、やっぱり負けず嫌いという気持ちがあったからかもしれませんね。
西城秀樹は若い頃「新御三家」として活躍
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西城秀樹さんは、郷ひろみさん、野口五郎さんとともに御三家と呼ばれて世の女性たちを魅了しました。
郷ひろみさんは女の子のようなかわいさがあり、野口五郎さんには物腰柔らかさがありました。
西城秀樹さんのうりは、そのクールなルックスとセクシーさでした。
ロックスターとしても大成している西城秀樹さんなので、ルックス的にもクールでセクシーなのはかなり有利に働いたことは言うまでもありません。
若い頃のイケメン写真では、胸元をはだけた衣装をクールに着こなしていて、アメリカ人ロック歌手さながらのものも多数存在します。
「ヒデキ」というカタカナ表記の愛称で親しまれており、多くの女性からの支持を得てかなりの人気者でした。
確かに、若い頃はかなりイケメンなので、昔の女性たちからの黄色い声の歓声を浴びながら歌うアイドル歌手になれたというのもうなずけます。
西城秀樹の活躍① 映画「愛と誠」にイケメン役で主演
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当時、イケメンアイドル歌手として人気絶頂だった西城秀樹さんが主演を務めた「愛と誠」。
愛という女子高生と、誠という男子高校生が恋愛をするという青春映画です。
イケメンな西城秀樹さんの恋愛もの、ということで、劇場では大盛況だったとか。
西城秀樹さんはワイルドかつクールなキャラクターとして女性から人気でしたので、そのキャラクターを生かした番長との対決があったりと、かなりの見どころ満載の映画です。
西城秀樹さんの若い頃のイケメンさがよく分かる映画といえるでしょう。
西城秀樹の活躍⓶ YOUNG MANが大ヒット
好きなことで、生きていくの昭和版とも言える「Young man」でも大人気でした。
アメリカのマイケル・ジャクソンなどを思わせる真っ白なロックスター的な衣装が印象的です。
この歌は、若いうちに好きなことにチャレンジしようと多くの人に歌で語りかけています。
西城秀樹さんはプライベートでも女子にモテモテだったというエピソードが残っています。
あの格好いいルックスだったら、女の子たちにモテモテだというのも当然のことでしょう。
この動画のバックダンサーも女子ばかりなので、彼のモテモテ度を表しているかのようです。
西城秀樹の活躍③ アニメちびまるこちゃんのエンディング担当
西城秀樹さんはアニメちびまるこちゃんに出演していたこともあるのです。
ちびまるこちゃんの作者である「さくらももこ」が西城秀樹さんの大ファンだったことから、「走れ正直者」というアニメのエンディングを歌っていたこともありました。
ちびまるこちゃんの中でも、西城秀樹さんはイケメンで女子の憧れの的アイドルとして登場しています。
西城秀樹の活躍④ 「傷だらけのローラ」でレコード大賞受賞
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「傷だらけのローラ」は、さいとう大三さんの作詞で作られた歌です。
ローラという人物に全ての愛を捧げる、というすごく情熱的な歌で、西城秀樹さんのロック節が利いた、とてもインパクトのあるラブソングとなっています。
傷だらけのローラは、韓国のオリンピック前夜に歌われて、韓国のKBSで日本の歌が初めて流れるなど、世界的にも認められたすごい日本の歌なのです。
認められたのは世界中だけではなく、日本ではこの傷だらけのローラという歌を歌ったことにより、2連続で日本レコード大賞を受賞するなど素晴らしい功績を残しています。
若い頃イケメンで女子からの支持も高かった西城秀樹さんがラブソングを歌ったら、それは素晴らしいものになるに決まっていますね。
西城秀樹の活躍⑤ 現在のアイドルにも受け継がれているイケメンダンス
西城秀樹さんは、野口五郎さんと郷ひろみさんと合わせて新御三家と呼ばれていました。
しかし、負けず嫌いな西城秀樹さんは他の2人と差別化を図りたいと思い、歌を歌うときに踊りながら登場する、ということを一番最初にアイドルとしてやった人です。
今では当たり前のことかもしれませんが、コロンブスの卵という言葉があるようにゼロから1を作り出すのは難しいことです。
西城秀樹さんは人気があったのもイケメン由来のものだけではなく、発想やアイデア、戦略などが奏功してのことなのでしょう。
アイドルとは歌って踊れるということは最低条件で、それ以外にもアイデアを巡らせなくてはならない部分がある、というのがよく分かるエピソードです。
西城秀樹の活躍⑥ イケメンなマイクパフォーマンス
アイドルや歌手などの間では定番となっているパフォーマンスの1つである、マイクパフォーマンスも一番最初に始めたのが西城秀樹さんなのです。
現在は、ロック歌手を中心にかなりポピュラーなパフォーマンスですよね。
西城秀樹さんは、マイクパフォーマンスをするためにかなり軽いマイクを特注で作って使用していたそうです。
若い頃のイケメンだった西城秀樹さんでも、普通のマイクであそこまで軽やかにパフォーマンスをするのは難しいので、そのストーリーには納得できます。
現在では普通のことも、西城秀樹さんあってのことだったのです。
西城秀樹さんはイケメンだけではなく、アイデアマンであったということがこのことからもよく分かります。
西城秀樹は脳梗塞を患っていた
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KBSで傷だらけのローラが流れてから5年後の2003年、西城秀樹さんは脳梗塞で倒れます。
そして、2011年にも2度目の脳梗塞で倒れているのです。
2003年というと、西城秀樹さんは40代なのでまだまだ若くてイケメンのはずですが、脳梗塞で倒れてしまったのです。
サウナが好きだったというエピソードもあるので、それも関係あるのかもしれません。
西城秀樹は2018年に5月に逝去
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2018年の5月16日に西城秀樹さんは亡くなりました。
お通夜と告別式がそれぞれ5月25日と5月26日に営まれました。
まだまだ未来のある大スターの西城秀樹さんでしたが、63歳でその人生に幕を下ろすこととなりました。
2018年の5月16日がご逝去された日ですが、同年4月25日に西城秀樹さんは家族の前で意識がなくなり、そのまま亡くなってしまったそうです。
死因は心不全とのことです。
西城秀樹さんには3人の子供がいますが、3人ともまだ未成年です。
子供を遺して死んでしまうということは、とても心残りでならなかったでしょう。
西城秀樹さんには、天国でいつまでも子供たちやファンを見守っていてほしいと願うばかりです。
まとめ
・西城秀樹の「傷だらけのローラ」は韓国でも流されるほど世界的なヒットになった。
・西城秀樹2018年の5月16日に心不全で亡くなった。
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若い頃はイケメンアイドルというだけではなく、努力家でアイデアマンでもあった西城秀樹さん。
まだ63歳という若さで亡くなってしまい、とても悲しいと思う人も多いでしょう。
しかし、新御三家と呼ばれた若い頃のイケメン時代に築き上げたマイクパフォーマンスやダンスなどは、現在のアイドルたちに受け継がれています。
亡くなった今でもスターであり続ける西城秀樹さんはとても偉大な歌手であり、単に若い頃イケメンだっただけではない、アイデア溢れる人でした。