明石家さんまさん司会の番組は笑いが絶えず長寿番組も多数ですが実はさんまさんの生い立ちや家族には悲しい出来事もありました。
今回は明石家さんまさんの家族である娘、義息子、父、母、兄を紹介、そして義弟の死因をまとめました。
目次
明石家さんまのプロフィール&経歴
明石家さんま(あかしや さんま)
本名:杉本 高文(すぎもと たかふみ)
別名義:笑福亭さんま(旧名)
誕生日: 1955年7月1日(62歳)
出身地: 奈良県奈良市
血液型: B型
身長: 172 cm
体重: 61 kg
配偶者:大竹しのぶ(1988年 – 1992年)
親族:IMALU(1989年9月19日 – )
明石家さんまさんは、もともとは落語家を目指していました。
高校3年のときに笑福亭松之助さんに弟子入りを果たし、「笑福亭さんま」という芸名で芸能界デビューを果たします。
入門後半年で初舞台に立つなど順調に経験を積んでいたところ、内弟子修行を放り出して当時交際していた女性と東京に上京したそうです。
しかし、東京での生活がうまくいかず再び師匠・松之助さんの元へと戻っています。
松之助さんは明石家さんまさんを一切叱ることなく、明るい声で出迎えてくれたそうです。
その後、松之助さんの推薦もあり、お笑いタレントへと転身し、芸名も「明石家さんま」と変更しました。
その後1976年にテレビデビューを果たすと、次々にバラエティ番組などに出演していきます。
明石家さんまさんの代表番組と言えば「オレたちひょうきん族」や「笑っていいとも」ですよね。
これがきっかけとなり、明石家さんまさんはたちまちアイドル並みの人気者となり、歌を出したり、俳優などマルチに活動の幅を広げていきました。
明石家さんまさんは、その後1998年に放送されたドラマ「男女7人夏物語」で共演した大竹しのぶさんと結婚します。
後に2人は、1992年に離婚をしてしまいますが、離婚後もテレビで共演をしたり、大竹しのぶさんのエピソードを笑いにかえて話すなどして、離婚後も仲良しなのが伝わってきます。
明石家さんまの家族① IMALU 【元妻・大竹しのぶとの娘】
明石家さんまさんと元妻である女優大竹しのぶさんとの間には、子供を1人もうけていて、現在同じく芸能界で活躍している「IMALU(いまる)」さんです。
IMARUさんの本名は「大竹いまる」と言いますが、この名前の由来は明石家さんまの座右の銘である「生きてるだけで丸もうけ」から来ているそうです。
後述しますが、明石家さんまさんの壮絶な人生体験が大きく影響しているようです。
一方で大竹しのぶさんは「いまをいきる(今を生きる)」からだと主張しているとのことです。
どちらが由来にしろ、我が子である、いまるさんに込められた願いと2人の大きな愛情が感じられます。
ちなみに、IMALUさんの現在は、歌手やタレントとしてバラエティーに出演したりと活躍していますが、明石家さんまさんとの共演はNGと言われています。
いつか共演を果たす日が楽しみですね!
帰りの新幹線。同じ車両でまさかの遭遇。ばったり会ったのこれで3回目。
多分日本がゾンビタウンになって連絡取れなくなってもどこかで会えそうな気がしてきた。
お菓子もらった。高いお弁当買ってもらえばよかった。
— IMALU / LULU X (@imalu0919) 2016年5月9日
明石家さんまの家族⓶ 二千翔(にちか) 【元妻・大竹しのぶの連れ子】
大竹しのぶさんは、明石家さんまさんと結婚する前に1度結婚していた過去があります。
前の旦那さんは病死してしまったのですが、その旦那さんとの間に息子の二千翔(にちか)さんが生まれています。
明石家さんまさんにとって二千翔さんは義理の息子ですが、さんまさん自身の幼い頃と重ねたのか、二千翔さんを自分の子供と同様にもしくはそれ以上に愛していたそうです。
明石家さんまさんが大竹しのぶさんと離婚することになったときも、二千翔さんはさんまさんについていきたいと言っていたほど、二千翔さんもさんまさんが大好きだったようです。
現在は、モテない二千翔さんを明石家さんまは心配しているそうで…。
「何年経っても。ずーっと一緒。お母さんと妹に『センス悪い』『彼女作りなさい』『表に出なさい』って言われて」と語るさんま。
思わず後輩・村上ショージが、「合コン、連れて行ってあげたらどうですか?」と提案すると、「いや、言ったの。『今度、連れてったるわ。合コンとか』って」と既に提案していたことを告白した。
それを大竹しのぶさんに話すと反対されたそうで…。
「ほんなら、母親から『ダメだ』って・・・『おかしいじゃない、お父さんと息子が合コンにいるって』」と止められたと語り、続けて「あ、ほんなら、風俗連れて行くわって言ったら、『バカじゃないの』と言われた」と大竹から怒られたことを明かした。
このやり取りから、ネットでは「いい父親だな」などの声があがっていたそうです。
明石家さんまの家族③ 父親
明石家さんまさんの父・杉本恒さんは、サンマなどの魚を扱う加工業を営んでいたと言われています。
それが、明石家さんまさんの芸名でもある「さんま」を名付けた理由とされています。
さんまさんと口元がそっくりですね。
恒さんはさんまさんが50歳のときに、心肺急停止のため亡くなってしまったそうです。
明石家さんまの家族④ 母親 【壮絶な生い立ちも紹介】
実は、明石家さんまさんは3歳の頃に病気のため母親を亡くしています。
そして、小学校高学年になった頃に父親が再婚し、義母ができましたが、まもなくして義母に子供ができました。(後述あり)
明石家さんまには年の離れた弟ができ、”チビ”と呼んで大変可愛がっていたそうです。
弟にも好かれていたようで、兄弟はとても仲良かったそうですが、明石家さんまさんと兄の正樹さんは義母に愛されることは一度もなかったようです。
さんまさんは、それでも笑ってもらおうと義母に毎日面白いことをして喜ばせようとしていたと言います。
明石家さんまの、義母に話してもらいたいが為に毎日面白い事を言おうとしていたエピソード、泣きそうになる
— 次郎 (@jirousolid) 2016年11月13日
しかし…夜になると子供たちが寝ている隣りの部屋で、お酒を飲んでいた義母の、
という言葉が壁伝いに聞こえてきたのです。
そして、兄の正樹さんと2段ベッドで泣いていたそうです。
このことが明石家さんまさんのトラウマとなってしまい、明石家さんまさんはお酒が苦手になり、またお酒を飲む女性も苦手だと言います。
明石家さんまの家族⑤ 実兄
明石家さんまさんには、実の兄「杉本正樹(すぎもと まさき)」さんがいます。
正樹さんとは6歳も歳が離れているそうで、2018年現在は68歳でしょうか。
お兄さんは、明石家さんまさんの父親が経営していたカラオケバーを継いでいるそうです。
本日の『ちゃちゃ入れマンデー』(関西テレビ)に、さんまさんの兄・正樹さんが出演w
明石家さんまの出身地は和歌山であるという「奈良の耳痛トピックス」についてコメント。正樹「完全に育ちは奈良ですから、まあ奈良県民でイイんちゃいますか」 pic.twitter.com/YBupoW7Up8
— エムカク (@m_kac) 2015年10月13日
明石家さんまの兄・杉本正樹(60)がテレビに登場
— ヒデオ (@hideo8791) 2013年3月9日
そっくりすぎて話題になっていました。
確かにそっくりですね、少し太らせた“明石家さんま“といったところでしょうか。
画像は杉本正樹。http://t.co/S14ruuXVfF http://t.co/tIgwo8XznD
このコメントにもあるように、お兄さんは明石家さんまさんを少し太らせた感じだそうで、とても良く似ているそうです。
さらに、面白?エピソードもあり、お兄さんは既に結婚3回目だそうで、現在の奥さんは、37歳というから驚きです!
兄弟揃って”女好き”も似ているかもしれませんね!
明石家さんまの家族⑥ 義弟 【驚きの死因】
明石家さんまさんには、母違いの義理の弟、通称”チビ”がいました。
明石家さんまさんの弟は、サッカーが得意だったそうで、奈良育英高校のサッカー部のキャプテンを務めたり、インターハイや国体などにも出場。
将来はサッカー選手になるのではないかと期待されていたと言います。
しかし…悲しい事件が突然起こるのです。
明石家さんまはこの当時、冠番組を持つほど既に人気お笑い芸人になっていたそうですが、芸能人としても順風満帆なとき、悲劇は突然起こったのでした。
明石家さんまさんの最愛の弟”チビ”が(当時19歳)実家の火事で焼死してしまったのです。
当時の週刊誌には「焼身自殺」という見出しが出て、事故ではなく自殺ではないかとの噂もあったそうです。
明石家さんまさんは、最愛の弟を失ったショックがあまりにも大きく、番組で笑いを取ることも出来なくなってしまったそうで、芸人を辞めようと思っていたと言います。
しかしそんな中、明石家さんまさんを励ましたのが、同期だった「オール巨人」さんだったそうです。
明石家さんま
— いちたん💳@ハピ神 (@_1973326780811) 2015年9月19日
実母は彼が3歳のときに病死。
28歳の時に弟(19歳)が焼身自殺。その後舞台で、
オール巨人「お前んち、兄弟焼いたらしいな?」
さんま「..そや、木材が切れたから焼いたんや」
覚悟無くしてはできないやりとり…http://t.co/S02T8PLfH6
普通であれば激怒してしまうであろう、この言葉を「励ましているんだな」と捉え、ジョークで返したそうです。
しかし、このようなやり取りがあったおかげで、明石家さんまさんはチビの死を乗り越えることができたとのこと。
その後オール巨人さんに「ありがとう。これで芸人やめんで済むわ」とお礼を言ったそうです。
明石家さんまの強運っぷりがすごい
これまで、壮絶な人生を過ごしてきた明石家さんまさんでしたが、”強運の持ち主”と言われた出来事があるのです。
それは、日本の航空機史上最悪の事故と言われた、1985年8月12日の「日本航空JAL123便墜落事故」がありました。
この便には多くの著名人も搭乗していました。
「上を向いて歩こう」で世界的大ヒット曲を陀したことで知られる歌手の坂本九さんを始め、520名もの命がたった一瞬で奪われてしまった悲しい事故でした。
実は事故のあったこの日、明石家さんまさんはフジテレビの「オレたちひょうきん族」を収録後、墜落事故機JAL123便で大阪へ飛び「ヤングタウン」に出演する予定だったと言います。
しかし、「オレたちひょうきん族」の収録が予定時刻よりも早く終了したため、JAL123便をキャンセルして全日空の1本早い便で大阪まで向かったそうで、運が良く助かったそうです。
明石家さんまさんは、それ以来出来る限り新幹線を利用しているとのことです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回の記事をまとめると…
・明石家さんまは実の母と3歳の頃に死別していた。
・明石家さんまには義母ができるが、義母にはまったく愛してもらえなかった。
・明石家さんまは義理の弟”チビ”を火事で19歳という若さで亡くしてしまう。
・明石家さんまは墜落した「日本航空JAL123」に乗る予定だった。
・明石家さんまは血の繋がらない息子「二千翔」さんを溺愛している。
・明石家さんまの娘・IMALUの命名理由は自身の壮絶な過去を経験したから。
いつも笑顔で、ユニークな明石家さんまさんですが、過去は辛い人生を歩んできたそうです。
そんな壮絶な過去があってか、いまの明るい明石家さんまさんがあるのかもしれません。
これからも明石家さんまさんの活躍を期待しています!